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高野山~帰宅 43日目 6/23(木)

朝7時に宿を出発。なんば駅から南海線に乗り、2時間近く揺られて高野山の麓、極楽橋駅へ。ここから山頂まではケーブルカーで登る。四国一周を徒歩で歩き通した体は乗り物に対して妙な違和感を感じている。ケーブルカーはゆっくりと杉の大木が立ち並ぶ山中を登っていく。天気もよく澄んだ空気が心地よい。

山頂に着き、改札を出ると目の前にはバス停しかなかった。僕は戸惑った。高野山について全く予備知識がなかったので、てっきり山頂に大きなお寺があるものだと思っていたのだ。駅に備え付けてあるガイドマップを見ると、高野山という所は一つの町だった。町の中にお寺がずらっと立ち並ぶ、いわばお寺のテーマパークとでも言うべき場所である。

目指す場所、高野山奥之院は当然、町の一番奥に位置している。バスで奥之院入り口まで向かう。ここから奥之院御廟まで約2kmの参道を歩いていくのだが、ここはスゴイ。鬱蒼とした杉の巨木が立ち並ぶ中に、所狭しと墓碑が立ち並ぶ。武田信玄、伊達政宗、石田三成・・そうそうたる戦国武将達の墓碑群があまりにもランダムに立ち並ぶ。更に奥に進むと豊臣秀吉や織田信長の墓碑もあった。

厳粛な気持ちで参道を抜けると奥之院が静かに佇んでいる。ここの裏に御廟があり、弘法大師はここで未だに生きておられるとのこと。お祈りをし無事に結願した報告と感謝の念を唱える。その後、納経所にて朱印を頂く。納経帳の最後は一番初めに参拝した寺で朱印を頂くページなのだが、僕は一番の寺霊山寺に戻っていないので、そのページだけ空白になってしまう。

納経所の方は、真言宗総本山である金剛峯寺で朱印をもらうといいと仰った。最近は一番寺に戻るより金剛峯寺で納経する方が主流になっているらしかった。僕は言葉通り金剛峯寺まで歩いて戻り、正に最後の納経を済ませた。終わった。全て終わった。後は帰るしかない。

電車でなんばまで戻る。夜行バスを使って帰るつもりだったが、疲れている上に重いザックを抱えて夜中まで時間を潰せそうになかったので、新大阪から新幹線に乗って帰った。なんともあっという間に帰りついてしまった。

これで、僕の「四国遍路徒歩の旅」は終わりました。よく冗談みたいに、悟りは開けた?なんて聞かれることがありますが、四国を一周した位で悟りなど開けるかということは悟りました(笑)
そもそも「悟り」とは何か?四国では何十回、何百回、何十年もお遍路を続けている方々に出会いました。一体、何を求めて遍路を続けているのでしょうか?

目的は人それぞれに違うのでしょう。病気治癒、健康祈願。自分を見つめ直す、鍛える。目的は定かではないが何となくやってみる。自分探し。納め札が金や錦にグレードアップして先達として認定されるなどお遍路のステータスを上げたい人もいるだろう。

この旅で、札所を廻る度に僕もいくつかの祈願をしている。この先その願いが叶うかはわからない。ただでさえ、今の世の中は難しく生き辛い。更に震災や原発事故で多くの人々、政治、経済ありとあらゆるものが大きなダメージを受けた。そして情報だけは常に溢れかえり時に正常な判断を狂わせる。

人間は優しさ、思いやり、助け合いなどの善の気持ちも持っていれば様々な欲、煩悩、怒り、妬みなど負の感情も併せ持ちながら生きている。この負の感情を消し去った境地に「悟り」があるのだとしたら、四国を一周することなど公園の散歩みたいなものだろう。

今より遥かにモノも情報もない時代に弘法大師空海は何を思って歩いていたのだろうか?いつの時代であろうと人間として生まれてきた限り悩みは尽きない。しかし逆に言えば悩むということは人間だけに与えられた能力でもある。誰でもが簡単に悟れたら、宗教も戦争もない平和な、いや平和という言葉すらない真っ白な世界が広がっていて、それを極楽浄土というのだろうか?

人は生きている限り悩み続ける。仕方のないことだ。四国遍路を薬に例えるならば、その効能は僕には未知数だ。ある日突然効いてくるかも知れないし、効果なしかも知れない。もう飲まないかもしれないし、いつかまた飲むかもしれない。そして特に人にオススメしようとも思わない。

ただ、人のルーツは海であり太陽と大地の恵みで僕らは生かされている。無心のままに自然に帰り、自然の恵みと力、自然が育んだ人の温かさに触れることは、多くの人が忘れてしまっている、人が人として生きる当たり前の所作を体に染み渡らせてくれる。そこは楽園ではない。ただの楽園ならどこにでもある。自然の厳しさを知ってはじめて与えられる恵みなのだ。

もし、これからお遍路に出ようという方に僕が言葉を贈るなら、「無心で飛び込みあるがままを受け入れよう」だ。オリジナリティのある言葉ではない。ただ他に思いつく言葉もない。

「四国遍路」がよき薬となりますように。

  南無大師遍照金剛





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涅槃の道場讃岐 42日目 6/22(水)結願

今日はいよいよ結願だ。天気も晴れてくれた。宿を出て87番、長尾寺へ向かう。遍路道も今日で最後。感慨深く歩けるかと思ったが、さほど面白くない道を歩いているうちに長尾寺に着いてしまった。ここも地味でさりげないお寺だ。

いよいよ結願寺、88番大窪寺へ向かう。途中、携帯電話が鳴る。Yさんだった。朝イチで結願しバスで高野山へ向かっている途中、歩いている僕を見かけたそうだ。色々お世話になったお礼を言う。無事の結願本当におめでとうございます!

かなり暑くなってきた。汗が噴き出してくる。大窪寺へは標高740mの女体山を越えていく。最後まで山登りだ。麓の前山ダム付近から遍路道があるが、大窪寺までは山道を約9km。ここからは入らず車道沿いを歩いて道の駅ながおで飲料水を調達。ぎりぎりまで車道を歩いて遍路道に入ろうと思っていた。

しかし女体山登り口までは予想以上に遠かった。日射しはガンガン照りつけ顔から滝のように汗が流れる。顔の汗を拭っているだけでタオルがぐっしょりになってしまった。山頂まで5kmという所で、水がほぼ尽きてしまった。目まいがして心臓がバクバクいっている。熱中症の心配があったが、ここにはもう自販機もない。

遍路道の入り口が目の前にあったが、山の中で倒れたりしたら一大事だ。車道なら万が一倒れても車が通れば救助してもらえるかもしれないと思い、車道を登っていくことにした。登り坂が延々と続く。負担を減らす為まっすぐに登らずジグザグに登る。身体中が悲鳴をあげる中、永遠に続くかと思われる坂道をゆく。

やっとの思いで女体山山頂地点へ着いた。そこから今度は反対側へ下っていく。こんなに下ったら山を越えてしまうのではないか?と思った位で大窪寺の前に出た。ここも結願寺とは思えない程、地味なお寺だ。コーラを買い一気飲みしてから最後の納経をする。

万感の思いが胸に込み上げて、涙が頬を伝った。…なんて書きたい所だが今はさしたる感慨もなかった、というのが正直な感想だ。ああ~終わったんだなぁという気持ち。確かに楽な道程ではなかった。山、海、太陽、雨。全ての自然が立ちはだかった。もう一度やりたいか?と問われたら、絶対にやりたくないと言うだろう。

しかし、この旅では様々な出会いがあった。一人歩きの旅だが、家族、友人、四国で出会った全ての人達に支えられた旅であった。本当に感謝したい。納経を済ませ、寺前の売店でうどんを食べながらぼーっとしていた。この後は真言宗の総本山、高野山にお礼参りをするのが常道だ。1番の霊山寺に戻ってから高野山に向かうのが一般的のようだが、僕はそのまま高野山に行くことにした。

大窪寺前からバスに乗り、高速バスの乗り場まで行きそこから大阪難波に向かう。一旦バスに乗ってしまうと早い。感慨に耽る間もなくバスは鳴門海峡を越えあっという間に四国を抜けてしまう。難波には夜8時過ぎに着いた。駅前のビジネスホテルに泊まる。夕食を摂る為に夜の大阪に出てみるが、御堂筋や道頓堀の喧噪に圧倒され早々にホテルへ戻る。明日の朝イチで高野山へ向かう。いよいよ千秋楽だ。

涅槃の道場讃岐 41日目 6/21(火)

久々に晴れた。今日は高松市中心街を抜け、屋島に向かう。近くに来るまで気づかなかったのだが、屋島とは源義経率いる源氏の軍勢が平家一門を滅ぼした地だ。壇の浦の攻防は余りにも有名。歴史好きのテンションが上がってくる。

しかし、朝の高松市内の遍路道には通学中の小学生がわらわらと群れて歩いていた。徳島や高知では、子供達がとても元気にあいさつをしてくれてこちらが照れるほどだったが、愛媛、香川と進むに連れて子供達は逆にお遍路を奇異な目で見ている感じがした。不思議なものだ。何だか居心地も悪いので足早に繁華街を抜ける。

屋島に入った。舗装された坂道を登って84番、屋島寺を目指す。イノシシ注意の看板がある。結構ワイルドな環境らしい。手や顔にびっしり汗をかいて屋島寺に登り着いた。屋島からは高松の街並みと瀬戸内海をパノラマで一望できて気持ちがいい。小豆島も見える。屋島寺は程よい南国情緒と開放感のある心地よいお寺だった。

屋島を出て85番、八栗寺も山の上だ。ケーブルカーが通っているが、それを横目に見つつもちろん坂道を登っていく。このお寺も心地よい風情がある。境内でゆっくり休ませてもらった。今日は86番志度寺を打って終了。予定通りに行けば明日で結願だ。早く行きたいような行きたくないような何とも複雑な心境だった。



涅槃の道場讃岐 39,40日目 6/19(日)20(月)

引き続き今日も雨。78番郷照寺、79番高照院、80番国分寺まで打つ。明日も雨の予報なので山中の81番白峯寺、82番根来寺を打つのはかなりシンドイだろう。宿はYさんと同宿だった。彼は廻る順序を変えて今日の内に81番と82番を打っていた。明日の天気予報を知っていたなら実に賢い廻り方だ。これでYさんに追い付くのはもう無理だなぁと思った。


翌朝はやはり雨。覚悟を決めて山登りをしなければならない。道は予想以上にひどかった。どしゃ降りの雨が川となって流れ落ちてきていた。どんな大雨でも、靴下まで浸みることはなかった防水加工のシューズもあっという間に浸水してしまう。岩も土もズルズル滑って実に危ない。

2時間掛けて白峯寺を打ち、更に2時間掛けて濁流の中を歩いて根来寺を打った。山を下る前に雨が止んだ。下り道の車道は霧が立ち込めて前がほとんど見えなかったが、雨が止み気温が上がってきたせいか霧がどんどん上方に登っていく。山の木々がミストのシャワーを浴びているようでとても幻想的だ。山登りはキツイが高い所でしか見れない光景を見せてくれる。

山を下ると高松市に入る。風景が都会の街並みに変わってくる。今日は83番一宮寺まで打って終了。宿泊施設のある天然温泉きららさんに泊まる。久々に温泉に浸かり疲れた体をほぐす。この旅も大詰めだ。せめて天気が回復してくれることを祈った。



菩提の道場伊予 37,38日目 6/17(金)18(土)

朝7時、宿を出て四国88ヶ所最高峰、雲辺寺を目指す。小雨がぱらついていたが登りに支障はなさそうだ。しかし登りはやはりキツイ。高知が海なら愛媛は山だ。四国という場所は厳しい歩き修業の場としては最適なのかも知れない。

朝霧煙る幽玄な景色の中、雲辺寺を打った。下山ルートは苦手の階段だ。クラクラしながら何とか降りていく。香川県に入り67番大興寺、68番神恵院、69番観音寺を立て続けに打つ。気付けば涅槃の道場、香川県に入り、残す札所も20を切った。この旅から得ているものは何かあるのだろうか?なんとなく焦りに似た気持ちもある。


翌朝、70番本山寺から打ち始め。71番弥谷寺までは遠くまた坂を延々登った。更に山門から本堂まで500段ほど階段を登る。山門を出た所には俳句茶屋というお茶屋があり、訪れた人達が詠んだ俳句が所狭しと貼ってある。ここでは僕も一句詠んでみた。

ここからは寺間が離れてないので、72番から76番まで一気に打つ。雨も降り出したので急ぎ足になる。75番の善通寺は弘法大師誕生の地であり、境内はとても広く雨の中でも観光客が絶えない。雨でなければ時間を掛けて参拝したかったが、雨足は強くなるばかり。先を急ぐしかなかった。





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